さて、皆様お待ちかね、「ナランハ 突撃インタビュー!」のお時間です。
縁あってお会いできたツイスターの皆様に、あつかましくもインタビューをお願いし、お答えいただことを記事にしてお届けしております。
今回は圧倒的な技術力で数々のコンテストの受賞歴をもつ、バルーン界の超人
「 ひねり屋ジャッキィさん」です
※写真をクリックすると拡大写真がご覧いただけます。
ジャッキィさんは、広島で活躍されるバルーンアーティストさんで、ツイストバルーンの技術は世界でもその名を知られるほどの有名人。また、ツイストバルーンのHOW TOサイト、「キュッとバルーン」の運営者でもあります。
では、はじめにジャッキィさんより簡単な自己紹介です
「こんにちは。ひねり屋ジャッキィです。」
「広島を中心にグリーティングやステージ、装飾の仕事をしてます。」
「コンテストと聞いてはエントリーせずにはいられない、コンテスト大好き人間です。」
ジャッキィさんがバルーンを始められたきっかけは何だったんですか
「学生の頃からイベント会社でキャラクターショーのアルバイトをしていたんです。」
「戦隊ものからウルトラマン、セーラームーンやアンパンマンなどいろんな着ぐるみに入って飛んだり跳ねたりしてました。」
「そのイベント会社にはバルーンピエロも派遣していて、友達がバルーンアートの練習をしていたんです。映画の『マスク』で主人公がバルーンアートで敵を撃退するのを見たことはあったのですが、実際目の前で見るのは初めてで、とにかく不思議でした。こんな細長い割れやすそうなものがいろんな形に変身していくなんて。」
「バルーンピエロの友達も楽しそうに練習してたのをみて自分もやってみようと思いました。目の前で人が美味しそうなものを美味しそうに食べてたら自分も食べたくなっちゃいますよね。そんな感じです。」
「早速東急ハンズに行ってバルーンアートキットを買いました。バルーンおやじさんのVHSが付属していたやつだったと思います。」
バルーンおやじさんのキットがスタートだったんですね!
「もともと子供の頃から、折り紙や工作や編み物が得意だったんです。それでイヌやウサギ、花など基礎の作品を作れるようになって、さっそく作って見たくなったのが『エイリアンの幼虫』でした。」
「なんとか形にしてイベント会社の先輩に見せたら『すごいんだけどキモい、却下』と受け入れられませんでした。」
残念なことですが、先輩の気持ちはよくわかります。(笑)
「ある日、バルーンピエロの人手が足りなくなって一回だけバルーンピエロをやってみたんですが、自分でやったメイクが余りに怖すぎて最初に出会った男の子が泣き出しました。これが私のグリーティングデビューです。」
あ・・・うん、写真を見ても、なぜこうなったと思ってしまいました。
「やり過ぎたと落ち込んでいたところ、別の女の子がこっちに近寄ってきて『ピエロさん、風船ください』と言ってくれました。」
「ちょっとフランケンシュタインになった気分でした。」
どうしましょう。悲しい話なのに面白い・・・。
「ひねり屋ジャッキィ」としてプロでご活動されるようになったきっかけを教えてください!
「その頃僕は父の仕事の手伝いでウェブサイトとかを作るIT関係の仕事をしてたのですが、ある日タイに出張に行くことになりました。」
「内容はタイの北部、チェンライで軍隊に竹の炭の焼き方を教える仕事でした。」
「最初は窯を作ったり仕事が沢山あったのですが、軍隊の人達が竹の炭を作れるようになって、現場監督での仕事もほとんど無くなって暇になってました。」
「チェンライにはナイトバザールという夜市が毎晩あって、ある日そこのビアガーデンで晩ごはんを食べて退屈しのぎに持ってきていた風船をひねってみました。そしたらそれを見ていた隣のテーブルの家族がうちの子にそれを売ってくれと言ってきました。」
「趣味で作ったものだからタダであげるよと言ったら、これでラーメンでも食べてくれとお金をくれました。それを見ていた他の人達もバルーンを作ってくれと注文がどんどん来ました。」
「やることもないので、もうその晩から僕は風船屋になっていました。」
もう、話の序盤で色々気になってますが、タイの屋台が風船屋さんデビューになったなんて、ひょんなことが人生の大きなきっかけになるもんですね!
「屋台の人達も親切で風船を作るスペースを貸してくれました。当時は作るスピードも遅くて、17時~24時までナイトバザールでひねりづくめでした。作りきれなかった風船は予約注文で翌日に持って行くことにして昼も風船を作っていました。」
「ネットで人の作品を見てバルーンの可能性を認識しながら、従来のテクニックと独自のテクニックを織り交ぜてレパートリーを増やしていきました。材料の風船は近所の駄菓子屋さんで仕入れることが出来ました。」
「この頃mixiで日本のバルーンアートのコミュニティに自分の作品を投稿していました。反響がとても良くて日本のツイスターさんとたくさん知り合いになれました。そして次のツイスターズが広島であることを知りました。」
「父の仕事からも解放され、ついに日本に帰ることになって、ちょうどその頃広島ツイスターズで講師の依頼を受けました。日本に帰ってもすることがなくて、広島本通り商店街にアンデルセンというパン屋があってそこにベンチがあったので、座ってバルーンアートを作ってみました。」
「そしたら、タイの時と同じくそれが欲しいとお客さんが寄ってきました。どこの国に行ってもこれは魅力的なものなのだ、やはりおもしろいものなのだと確信しました。」
「それからいろんなコンテストやイベントでお仕事をするようになりましたが、10年経った今でもそのベンチに座ってひねり屋をやってます。」
「ひねり屋ジャッキィと名乗るようにしたのは、当初、コンテストで当時mixiのハンドルネーム『邪悪鬼・鎖(ジャッキー・チェン)』でエントリーしていたのですが、優勝した時に賞状に『邪悪鬼・鎖』、QBACの賞状においては英語で『Jackie Chan』と書かれ、もうこれは人に見せれる賞状ではないと思ったため、改名することにしました。」
「でもすでにその頃バルーンの世界ではみんなからジャッキーさんと呼ばれて認識されていたため、そこは残しておいて、風船をひねる仕事だからひねり屋、バルーンを始めるきっかけになった友達のピエロのベッキィを文字って「ひねり屋ジャッキィ」と名乗るようにしました。」
なるほど、そんな歴史があったんですね!まさかジャッキィさんの名前の由来がジャッキー・チェンだとは(笑)今でもベンチでバルーンをひねっていらっしゃるなら、今後広島に行った際、立ち寄ってみます!!!
思い出に残っている作品、コンテストやイベントはありますか?よろしければその時のエピソードを教えてください♪
「印象深いのは初めてバルーンの大会に参加した2008年のツイスターズですね。」
「それまでネットでしか顔を見たことが無かったバルーン界の著名人を実際お会いして挨拶することができたのは、まるでテレビに出ている芸能人が目の前にいるような非現実感がありました。」
「逆に皆さんの方も、講師紹介欄に『邪悪鬼・鎖』って暴走族みたいな名前で、怖いクラウンのメイクした時の画像を貼っていたので一体どんなやつが来るのだろうとドキドキしてたみたいです。そのとき初めての講座で40人にハムスターを教えるわけですよ。」
講師と作品とのギャップが凄いですね。
「それまでバルーンの講座にも行ったことがなくてどうやって教えればいいか悩みました。バブルのサイズ、柔らかさ、質感をどうやって伝えればいいか分からないんです。ものさしだけじゃ不安だったんです。」
「行きついた結論が『全員にサンプル作って目の前に置いてサイズ見てもらえばいいじゃない』『難しくて作りきれなかったらサンプルをお土産に持って帰ってもらえばいいじゃない』でした。」
「2日徹夜してハイフロート入れながらハムスター40匹作って受講者に1人1匹配ってました。狂ってましたね。」
優しすぎますね。こりゃファンになりますね。
「コンテストで言えば第2回QBACのバスカー部門ですね。」
「フィギュア系コンテストでいつもtomoさんとヨッシーさんと三つ巴で競い合ってるんです。毎回3人とも1位2位3位ポジションで収まっていたんですが、この時だけ3人とも落選したんです。」
「しかも3人とも結構良い作品でそれぞれに優勝の自信があったんです。結果発表の時、準優勝で瞳さんの名前が呼ばれて3人がざわつき始めました。」
「あれ、これヤバいんじゃない?次で名前呼ばれなかったら何も残らないんじゃない?天国か地獄しかないんじゃない?」
「いよいよ、優勝発表・・・3人とも内心ドキドキしながら、でもまあ自分が優勝するだろう生き残るのは自分だとそれぞれふんぞり返ってたら、全然知らない外国の人が名前呼ばれて3人ともズッコケました。」
「あれが一番面白かったです。」
聞いてるだけでも情景が浮かんで笑ってしまいます!いい仲間ですね。
「最初コンテストに出ていたのは病気で倒れてた父を喜ばせるためでした。」
「その父が亡くなって、仏壇に優勝トロフィーを10個お供えして、コンテストは引退しようと決心して、その年の全ての大会のコンテストの出れる部門全てに出ました。」
「もうなりふり構わず、今まで出たことのないパフォーマンス部門にまでエントリーしました。結果、その年は計12部門優勝することができました。」
「しかしなんだかんだで、今もなおフィギュア系を中心にtomoさんとヨッシーさんで競い合ってます。一体いつになったら決着が着くのか。」
お父様も自慢の息子さんだったでしょうね。それはそうと、tomoさんとヨッシーさんとの競い合いは、外野からの意見としては辞めないでほしいです。(笑)
圧倒的なクオリティーで、作品を拝見する度次元の違いを感じるジャッキィさんの作品ですが、作品を作るときのこだわりはありますか?アイディアはどこから生まれますか?
「根が面倒くさがりなのでいかに手を抜くか、そんなことばかり考えてます。」
「日常で目に入ってくるいろんなものを、風船で作るとしていかに効率よく作るか、常に頭の中で解析しようとしてます。そして作れそうだと思ったものだけ手を出して作ってます。決められたお題から無理矢理作るのではなく、作れそうなものを作るという感じです。」
「しかし一旦作れそうだと思ったものは執念で何が何でも形にします。やるならとことんです。結果何日も、何週間もかけて練習して作品を作ることになってかなり面倒くさいことになってます。」
「アイデアは昔からですが人の作品見て思いつきます。」
「いわゆるパクリというやつなんですが、多分キャラクターショーの仕事をしていたときの癖なんでしょうね。本物あってのキャラクターショー、基本ものまねです。」
「そこに自分のやってみたいことをところどころに織り交ぜていきます。アクションするときもウルトラマンだけどジャッキーチェンのやってた技とかとり入れてみるとか、自分の好きなことやってましたね。」
「そんな感じで、バルーンを作る時も人の作品見て、自分ならここはこう使う、ここはこっちの方がいいと、他にもなんか映画とか漫画とかゲームとかで観てカッコいいと思ったものとか、自分でやってみたいこととか、とりあえずごちゃまぜにして作ってみます。」
「結果パクリの総合体になってしまい、作風があるのかないのか、もはや何をパクっているかよく分からない無節操なものが出来上がります。特にアート性は目指していません。」
「基本的に観る人を笑わせようとするスタンスで作品を作ってます。」
「これも多分キャラクターショーの仕事をしていたときの悪い癖なんでしょうね。ドラマよりもコント、名作よりもパロディーであろうという姿勢で挑んでおります。あからさまに笑わせようとして作っている作品もありますし、時にはやたらデカかったり、なんか浮いてたり、悪魔的だったり、天使的だったり、すごいけどお前がそれ作るのは違うだろというギャップでもウケを狙っております。」
なるほど、なぜこれを作ったのだろうとちょくちょく思うことがありますが(失礼)、それがまた精巧に作られていて、ジワる(ジワジワくる)のは、ジャッキィさんの思惑にまんまとはまっていたのですね!
「『やり過ぎ』『大人気ない』『技術の無駄使い』というお客さんの声を目指して頑張っております。根底的にあるのは常にユーモアの精神です。」
素敵です!これからも作品を見るのが楽しみになりました!
さて、今回はここまで!次回後編は6月13日(水)に配信です!お楽しみに♪