さて、皆様お待ちかね、「ナランハ 突撃インタビュー!」のお時間です!
縁あってお会いできたツイスターの皆様に、あつかましくもインタビューをお願いし、お答えいただいたことを記事にしてお届けしていきたいと思います!!
毎年、様々なバルーンの大会に必ず参加し、そのパフォーマンスはバルーン界の『伝統芸』 とも言われる、おちゃっぴいほりこしさん にインタビューをいたしました。
あまりにもバルーン歴が長いため、そこにいることが当たり前になって若いバルーンアーティストさんの中にはどういう方なのか逆にわからない方もおられるようなのでスポットライトを当てたいと思います。また、おちゃっぴいさんは日本のすべてのツイスターに対して重要なメッセージをバルーン界の重要人物から預かった そうなので、その話も伺っていきたいと思います。
※写真をクリックすると拡大写真がご覧いただけます。
では、さっそくインタビューいってみましょうっ!
簡単な自己紹介をお願いいたします。
芸名は「おちゃっぴいほりこし」です。埼玉県深谷市で風船をひねっている「ふうせんひねりびと」です。バルーンパフォーマーとしての活動がメインです。最近は、イベントに「出店」という形で参加させていただく機会が増えバルーンアート体験をやらせていただいています。
「おちゃっぴいさんと一緒にバルーンアートを作ったのがきっかけで、バルーンを始めました!」と、近い将来そんな子が一人でもいてくれたら嬉しいなと思っています。
バルーンをひねって26年、「おちゃっぴいほりこし」として活動を始めて25年になりました。160Qのように細~く、長~く活動しています。
いつか、「〇年前、親子で観ました。今回は親子孫で観に来ました。」なんて、声を掛けられたら嬉しいなと思っています。
【ナランハ(以下ナ】 26年!すごいですね。26年前と言えば福士蒼汰さんが生まれた年です。一人のイケメン俳優が育っちゃうぐらいの時間を積み重ねられたんですね。
甘いものが大好きです JBANコンベンション、ツイスターズ、QBAC JAPANの国内三大大会の全てに第一回から参加しています。
【ナ】 甘い物好き。そうだと思っていました。 というより、普段からよくおっしゃっていますね。
コンテストに初めて出場したのが、2000年にお台場で開催された岸ゴム主催の「The Balloon Convention」のバルーンフィギュアコンテストでした。2002年のJBAN以降、毎年、何かしらのコンテストに出場し続けています。
【ナ】 世の中の進み方が早くなってますね。2000年のとき自分は何をしていたかと思い起こしてしまいます。これを読んでいる方の中にはまだ生まれていない方もいるかもしれないですね。
当初は、おちゃっぴいのアピールの為と居場所を求めて(もう20年以上前の事ですが、JBANに行き始めた頃はプロ意識のとても高い方が多く、セミプロの芸人ですと挨拶しても名刺交換していただけない事もありました)、近年は、制限と制約がある中での緊張感を楽しむためです。あと、ツイスト15コンテストで皆さんと「あーん」するためです(笑)。
【ナ】 多分ですけど、この「あーん」がとても長い間続けられている、ネタ(?)であることを把握していない方もいるかもしれないですね。もし、参加できる機会があれば、みんな大きな声で参加しましょう!
ツイスターズ ツイスト15コンテスト、唯一の皆勤です!おちゃっぴいのトレードマークである「プリン」は、ツイスターズ2009のツイスト15コンテストで優勝した作品です。また、代表作の「ソフトクリーム」は、2015年に名古屋で開催されたQBAC JAPANのフィギュアコンテストで作った作品です。フィギュアのコンテストである事を全く意識しておらず、作ってしまいました(笑)。お気に入りの作品が増えて、嬉しかったです。
元々手品をやっていて、26年前の1993年に東京のマジックショップに行った際、バルーンマジックの入門セット(簡単な作り方、手もみポンプ、ツイストバルーン20本)を購入し知人のお子さんに作ってあげたら、とても喜んでくれてそれがとっても嬉しく、もっとやってみたいと思いました。
後日再びマジックショップへ、Marvin Hardy(マービン・ハーディー)師匠の本「BALLOON Magic」と運命的に出会いました。この本のお陰で一時的なマイブームで終わることなく、おちゃっぴいはバルーンをひねり続ける事が出来たのです。
【ナ】 そのくらい昔になるとツイストバルーンはそんじょそこらでは手に入らない代物。インターネットも普及していない時代。海外の製品を手に入れるどころか、その製品があることの情報すら手に入りません。マジックショップは、エンターテインメント関連の海外の珍しいグッズが手に入ることは、よくある話でした。
翌年1994年、所属していたマジックサークルの発表会の時に、ピエロの格好をして「バルーンマジック」を披露させていただきました。この日から、「おちゃっぴいほりこし」として活動を始めた事になります。
【ナ】 今なら、クラウンメイクをしようとすれば参考例や、道具とその使い方も簡単に調べられますが、この当時独学で、ここまでできることは、かなりのエネルギーがないとできないことです。
さらに同年、地元のお祭「ふるさとパフォーマンスフェスティバル」に出場して、金賞受賞。以来、セミプロのパフォーマーとしての活動が始まりました。同じ年に長女が誕生。以来、おちゃっぴいのバルーンは三人の娘達と共に成長していきました。
【ナ】 とっても仲が良さそうなご家族で、日々が楽しそうです。ご本人様が賞歴をまとめておられたのでそちらも掲載いたします。
賞歴他
BALLOON Magic The Magazineに、批評が1回、作品が5回掲載される
BALLOON images、パイオニアバルーンのカレンダー(非売品)に作品が掲載される
パイオニアバルーン、エミリーズバルーン、宝興産のカタログに作品が掲載される
1994年8月 ㈳深谷青年会議所主催「ふるさとパフォーマンスフェスティバル」金賞受賞
2005年8月 JBANコンベンション フィギュアコンテスト 優勝
2007年7月 ツイスターズ2007 ツイスト15コンテスト 3位入賞
2009年7月 ツイスターズ2009 ツイスト15コンテスト 優勝
現在、深谷市人材バンクに「技人」として、登録中
講師歴
ツイスターズ2006から一般講師の募集がある大会で講師をやらせていただく。
JBAN 2009で講師をやらせていただく
南京玉すだれ師「堀越茶目之助」としても控え目に活動しています。
【ナ】 堀越茶目之助さんに会いたい・・・・・。ブログ中の人と同じように茶目之助さんが気になった方は、下記を要チェック!
堀越茶目之助さんhttps://youtu.be/arbnMP7Zjyc
元々、ショーをやらせていただく時は、ピエロの格好をしていました。ツイスターズ2009 ツイスト15コンテストで「プリン」を作って優勝してからは、プリンハットを被ってショーをやらせていただく回数も増えていきました。
現在、おちゃっぴいは、「ピエロのおちゃっぴい」と「プリンのおちゃっぴい」二人いるのです。因みに、おちゃっぴいの服装についてですが、全て市販品です!
大好きな色は黄色です。黄色いバンダナ、黄色いTシャツ、黄色い腕時計、黄色いベルト、黄色い靴下、黄色いリュック、黄色いガマ口、黄色いポンプ、黄色いハサミ、黄色いカッター、黄色いスマホ(ケース)、黄色いカメラ、黄色い傘、黄色い扇子、黄色い名刺、黄色い車、黄色いスーツケース、黄色いハンガー、黄色いピンチ、黄色いクリップ、黄色い鳥、黄色いボールペン、黄色いノート、黄色いクリアファイル、黄色いクリップボード、黄色いタオル、黄色いバケツ、黄色い踏み台、黄色い帽子、黄色いカップ、黄色い小物入れ、黄色い封筒、黄色いメモ紙、黄色いライトなどなど 。
【ナ】 「黄色」の文字がゲシュタルト崩壊する~。ハンカチとサブマリンも入れましょう!
余談 その1
バルーンをひねり始めた1993年から4年程は、東京のデパートまで買いに行っていました。260Qトラディショナルアソートが1グロス(144本)で、定価3,000円でした。
【ナ】 中の人も、1グロス単位のバルーン懐かしいです。
交通費・所要時間を考えるとめっちゃ高かったですね。趣味にしてはお金のかかるものをやらせてくれた家内に感謝しています。今は100本入りが基準ですが、当時は1グロス・144本入りでした。1グロスは1ダース(12個)の1ダースになり12×12=144という事です。
【ナ】 中の人も1袋単位で買うと送料が高すぎるので、仲間とうまく分けてました。
1997年1月、第1回JBANコンベンションに行った時、バルーンのお店や会社のブースがありました。そこで、アメリカのパイオニアバルーン本社に勤務している日本人スタッフ・Hさんと知り合いました。一人の顧客として接してくださいました。個人輸入という形で、直接バルーンを購入できるようになりました。おちゃっぴいにとってパイオニアバルーン様は恩人なのです。2・3年後、「国内の流通が確立されたので、今後は、国内の会社から購入してください。」という旨の連絡がパイオニアバルーンから来ました。紹介された会社は4社だったと記憶していますが、その中で唯一まともに対応してくださったのが、エミリーズバルーン様なのです。おちゃっぴいにとって、エミリーズバルーン様も恩人なのです。だから、おちゃっぴいはエミリーズバルーンからバルーンを購入しているのです。ナランハ様、ごめんなさい。
【ナ】 とんでもございません!!人のつながりは一つではありませんから、こちらも、おちゃっぴいさまに色々教えていただくこともあり恩人です。
もちろん、ナランハ様も恩人です。2004年にツイスターズを開催してくださり、「おちゃっぴいほりこし」としての居場所を与えてくださいました。感謝しております。
【ナ】 ありがとうございます!!(スタッフ一同)
余談 その2「JBANコンベンションについて」
今年8月に名古屋で第23回が開催されます。第20回まではエミリーズバルーンが主催。第21回以降は、JBAN会員が中心となって開催しています。1997年から始まりました。大会名は第1回のみ「JBAC」でした。Japan Balloon Artists Conventionの略です。第2回から「JBANコンベンション」になりました。第1・2回は1月に開催、第3回から夏に開催されるようになりました。
余談 その3「QBAC JAPANについて」
パイオニアバルーン主催の大会です。今年2月に池袋で第6回が開催されました。2009年から始まりました。第1回大会は2009年3月に川崎で開催されました。大会名は第1回のみQualatex Twister’s Eventでした。QBAC JAPANは2年に一度の開催です。この理由は、アメリカで開催される世界規模のバルーンコンベンションであるQBACが2年に一度開催されています。アメリカのQBACが無い年に、日本でQBAC JAPANが開催されているのだと聞いたことがあります。
【ナ】 なるほど、そういう事だったのですね。
余談 その4「玉垣奉納」
5年前の2014年に、おちゃっぴいほりこし20周年の記念として、京都・車折神社の中にある「芸能神社」と、東京新宿・花園神社の中にある、芸能浅間神社に玉垣奉納をさせていただきました。今もありますので、もし行く機会がありましたら、探してみてください。
【ナ】 沢山の芸能人が玉垣を奉納しているところですね。
おちゃっぴいほりこし さんはどうして「おちゃっぴい」なんですか?
高校生の時に読んだマンガに、硬派なキャラがふざけた様子を見た後輩が、「あの人、おちゃめだな。」と言うセリフがあって、以来、「おちゃめ」という言葉がずーっと頭の片隅にありました。自分に芸名を付ける時に、おちゃめな人という意味を込めたのと、「おちゃっぴいほりこし」と発音した時、韻の流れがとてもスムースなので、本名の「堀越」と併せて「おちゃっぴいほりこし」としました。
後日、「おちゃっぴい」を国語辞典で調べてみたら、れっきとした日本語である事が判明。辞書を見ると「おちゃっぴい」とは、おしゃべりで、ちゃめであること。(な少女)。結果オーライですが、正に自分にピッタリな芸名だと思いました(笑)。
日本人が初めて覚える文字は「ひらがな」ですので、文字を覚えたてのお子様でも読んでいただけるようにと思い、ひらがな表記にしたのでした。「ひらがな」の丸っこい感じが好きです。「おちゃっぷりん」になったり、「たこっぴい」なったり、自分でも、変化できる楽しい芸名を付けたな、と思っています。先日、「ふかっぴい」になりました!
【ナ】 おちゃっぴい という言葉が女の子をさすので、お子様が女の子なのでそれに何かをなぞらえているのかなぁとか、いろいろ考えていました。言葉のリズム的なもの優先だったのですね。
作品作りやパフォーマンスをする際の「こだわり」はありますか?
2002年におちゃっぴいのバルーンをひねる上での意識が大きく変わる出来事がありました。それまでは、バルーンをひねれば誰もが喜び楽しむものだと、僅かだったと思いますが、傲慢ともいえる気持ちもありました(自分主体)。この年の11月、家内が大きな手術をしました。手術当日、病棟のロビーで待つように言われ、不安な気持ちを紛らわせるためにバルーンをひねっていました。そんなおちゃっぴいのバルーンを病棟の患者さんたちは、楽しみ、喜んでくださいました。おちゃっぴいの心は救われました。
この時、初めて、自分が相手にした行為で自分が救われるという事を体感したのでした。それからは、おちゃっぴいがバルーンをひねるから人が喜び楽しむのだという意識から、人様に喜び楽しんでいただくためにバルーンをひねらせていただき、そして、一緒に笑い楽しませていただく。という意識に変わっていきました(相手主体)。
結果、それが自分にも返ってきて、自分は生かしていただいているという事が分かりました。以前に増して「感謝」する気持ちを持てるようになれました。
【ナ】 気持ちの部分に、こだわりをお持ちなのですね。とっても、おちゃっぴいさんらしいと思います。
2005年から3年程、断続的ですが、ケアリングクラウンのワークショップに参加しました。高田佳子氏に指導していただきました(指導というより鍛えていただいた感じです。有り難かったです)。このWSのお陰で、ショーの最中に腹の底から笑えるようになったり、トラブルを楽しんだりできるようになったり、人との係わり(一対一の係わり)を大切にするようになりました。また、ジブリッシュ(ある種の言語?)が喋れるようになりました。
作品を考える時、作品を会得する時は、作業記録のごとく記録をしています(笑)。おちゃっぴいが作る作品のほとんどは、バルーンに入れる空気の量とひねる長さが決っています。手を広げた時の指の幅「おひなくこ」で長さを測ってひねります。そして、太さと長さのバランスを意識して、作品を作ります。その際、バルーンを「指」でひねるのではなく、「てのひら全体」でバルーンの柔らかさを意識しながらひねり、仕上げます。
大の甘党ですので、スイーツの作品が好きで、美味しそう に見えるように意識して作ります。作品の完成度ではなく、いかに美味しそうに見えるか、の方に重点を置きます。人様がただ見ているだけではなく、人様にただ見せているだけではなく、人と関われたり、遊べたり、コミュニケーションが取れたりするような作品になったらいいな、という気持ちでいます。作品を作ってから、どうのように人様と関わったり、遊んだり、コミュニケーションをとるか考えたりもします。
【ナ】 ケアリングクラウンは病院とか老人ホーム被災地などで主に心のケアをするクラウン(道化師)です。高田佳子さんは、ナランハでも販売している次の本の筆者の方でもあります。風船でつくろう!フラワーガーデン 、ファンタジー・バルーン 、みんなでつくろう!大型クラフト5 バルーン・アート 。日本のバルーンアートの創成期を築いた方の一人ですね。
パフォーマンスも「関わり」を大切にするように意識するようにしています。観客の皆様と一緒に笑ったり、楽しんだりできるように、という気持ちでいます。例えば、プリン他スイーツを作った時にやる「あーん 」とか、タコと握手とか(笑)。
「あーん」ごっこは娘達が小さい時によくやりましたね。ツイスターズのツイスト15コンテストでの「あーん」は、ご当地の味のプリンを作って、それをかぶって出場して、自己紹介の時にやるようになりました。ここ3,4年はスイーツの作品を作るようになり、作品紹介の時に「あーん」をやるようになりました。「伝統芸能になりつつある。」との声も聞きました。とても嬉しく有り難く思っています。
【ナ】 「あーん」がわからない方は、絶対に来年のツイスターズに参加してください! そして、みんな一緒にやりましょう!
タコハット、初めはかぶって「タコだよ~ん!」とかやっていました(笑)。2009年の第1回QBAC JAPANで、「ワンバルーンコンテスト」にタコハットをかぶって出場しました。制限時間12分で、ツイストバルーン1本で作品を作るライブ形式のコンテストでした。
おちゃっぴいは、ホワイトの646Qを使って「雪だるまのオキアガリコボシ」を作りました。参加者の中で一番早く作り終わってしまい、残り時間をどうしよう、と思っていたら、視界にタコの足が入ってきました!
客席に入って、観客と握手して回りました。結果オーライですが、これは素晴らしいコミュニケーションツールだと、自分で自分の作品に感心してしまいました。翌年、横浜で開催されたツイスターズ2010のテーマは「ようこそ」でしたので、開場前にタコハットをかぶってスタンバイして、来場者と握手して回ったのでした。「ツイスターズでタコと握手!」の始まりです。
【ナ】 これをしてもらえると、「あぁ、歓迎してもらえてるなぁ」という気分になります。そこが、気持ちの部分にこだわりを持っておられるポイントを感じます。
あと、「トラブル」を楽しむようにしています。自分でも先が読めなくて、ドキドキ、ハラハラするのも楽しいものです。「動き」のある作品も好きですね。例えば、プリンハットのサクランボの「ヘタ」や「魚釣りハット」や「Smile For Allハット」など。また、フライングシリーズの「クラゲ」や「ダイオウイカ」や「ゴースト」など。「動き」があると、見ているだけで楽しい気持ちになれると思います。
この26年の間に、バルーンが恐い・嫌いというお子様が三人いらっしゃいました。理由を聞いてみると、「音が嫌だ。」「小さい時に、風船の割れた音で恐くなって嫌いになった。」との事でした。バルーンは本当に楽しいものだと思いますが、全ての人にとって楽しいものではない、中には嫌いな人もいる、という事も、心の片隅に留めています。
【ナ】 そうですね。割れそうな感じとか、擦れる高い音が、他の人より苦手な人がおられますからね。また特にラテックスアレルギーなども気を付けないといけませんよね。
バルーンアートの第一人者といわれる「マービン・ハーディー」氏に会われたそうですがいかがでしたでしょうか?
Marvin Hardy(マービン・ハーディー)氏はバルーンマジック(基本はツイストバルーン1本で作品を作る)の第一人者です。30年以上前から奥様のPenny(ペニー)さんとご一緒に行動され、バルーンマジックを、バルーンの楽しさを世界中に広めてくださいました。そして、今現在の楽しく、素晴らしいツイストバルーン文化の礎を築いてくださったのでした。現在は84歳になられ、アメリカユタ州ソルトレイクシティに住んでおられます。電子版のBALLOON Magic The Magazine第1号にも紹介されていますので、是非、ご一読ください。
おちゃっぴいが出会った本「BALLOON Magic」の初版は1987年です。おちゃっぴいがバルーンをひねり始めたのは1993年。当時はインターネットが普及しておらず、情報を得るのは困難な時代でした。そのような中でこの本と出会えた事は奇跡でした。おちゃっぴいほりこしにとって、マービン氏はバルーンの師匠なのです。おちゃっぴいの知る限りでは、講師として5回来日されました。
おちゃっぴいが初めてマービンご夫妻にお会いしたのは1997年10月でした。名古屋で、パイオニアバルーン主催の「第1回ジャパンバルーンシンポジウム」が開催されました。マービン師匠のクラスがあるというので、どうしてもお会いしたくて、そのシンポジウムに参加しました。
マービンご夫妻にサインをいただいた時、奥様のペニーさんから、「Practice, practice.(練習あるのみ)と言っていただきました。今でも、とても印象に残っています。
その後、マービン師匠は、1999年から2002年のJBANコンベンションで講師を務められました。おちゃっぴいは出来る限り、マービン師匠のクラスを受けに行きました。
今年2月、池袋で開催されたQBAC JAPANに参加しました。開催前日、お手伝いをしている時に、パイオニアバルーン本社勤務の日本人スタッフ・Tさんがマービン師匠の情報を教えてくださいました。現在、ご夫婦で施設に入られておられるとの事。お二人とも大病を患っておられるとの事。今年のバレンタインは、お二人で迎える最後のバレンタインになるかもしれないということで、お二人のリクエストで地元のお仲間が施設をバルーンデコレーションされたとの事。おちゃっぴいは涙が止まりませんでした。
おちゃっぴいは、昨年12月にFacebookを始めて、マービン師匠と友達になっていました。師匠の投稿を見て、「いいね」をしまくっていました。先の話しを聞いて、あのデコレーションの意味が分かり、再び涙が溢れ出しました。
今年3月、マービン師匠のお仲間のShan Ingleby氏とFacebookで友達になりました。「4月29日から5月1日に、Balloon Jam Utah(以後BJU)という、一世一代の素晴らしいイベントがあるから、家族・友人と是非参加してください!」という旨のメッセージ(もちろん英語)が数回届きました。当初は知らなかったのですが、4月29日は、奥様のペニーさんの誕生日であることが判明。マービンご夫妻のために、ペニーさんの誕生日に合わせて、お仲間がBJUの開催を急遽決めたのだと、おちゃっぴいは推測しました。確認した限りではBJUの開催の情報がFacebookにアップされたのは3月7日でした。BJUの情報を見ている内に、気持ちが揺らぎ始めました。
BJUの開催期間は、日本ではゴールデンウィークです。航空券がめっちゃ高い!しかも、おちゃっぴいは英語が喋れないし、元々、海外に行くなら、もっと国内のいろんな所に行きたいと思っていましたし・・・
しかし、よくよく考えました。この機会を逃したら、もう、マービンご夫妻とお会いする事はないだろう、お会出来る最後のチャンスと思い、BJUへの参加を決意したのでした。
航空券の手配、ホテルの予約、BJUへの参加申し込み、パスポートとESTAの申請を済ませ、アメリカ行きへ向けて準備を進めました。成田空港から15時間の移動時間を経てソルトレイクシティに到着しました。
BJU1日目
空港から送迎バスに乗って、会場であるホテルに到着。真っ先に、BJUの会場へ行き、主催者であるDiana Habovstak氏とShan Ingleby氏に挨拶を済ませ、いつもの格好に着替えて会場に戻りました。おちゃっぴいほりこしとして、BJUに参加したのが、17時30分頃。BJU1日目に間に合いました。この後、マービンご夫妻に挨拶に行きました。マービン師匠は電動車椅子に乗っていましたが、お二人ともお元気そうでした。おちゃっぴいの事を覚えていてくださったようで嬉しかったです。この後、奥の部屋に行ってみると、Robert Furman氏が真っ赤なアメ車を作っていたので、ご挨拶しました。彼は、2011年のJBAN で講師をされました。おちゃっぴいは彼のクラスを受けました。
この後、ペニーさんの誕生日を祝うショーが開催される模様、地元の方々も続々と集まって来ました。19時過ぎから、マービン師匠のお仲間のショーが始まりました。ピアノとバルーンを使った歌とコメディーのショーでした。アメリカのショーを体感しました。カラッとしていて、明るくて、ユーモアたっぷりで、暖かくて面白いショーでした。時間にして1時間ちょっとでした。
この後、ペニーさんが妹さんと前に出てきました。みんなで、ハッピーバースデーの歌を歌って、バースデーケーキに入刀、ケーキはみんなに振舞われました。おちゃっぴいもいただきました!
会場の後ろを見てみると、Don Caldwell氏がいたのでご挨拶させていただきました。彼はJBANコンベンション とQBAC JAPANで数回、講師をされました。おちゃっぴいは何回も彼のクラスを受けました。
この前後、パイオニアバルーンの社長ご夫妻をお見掛けしました。奥様は副社長です(ご夫妻は、以前、JBANコンベンションに来てくださった事があり、ファイナルパーティーで挨拶をしてくださった事があります。おちゃっぴいはお顔を存じ上げていました)。
この後、みんなで奥の部屋に行きました。赤いアメ車は、マービンご夫妻へのサプライズプレゼントだったようで、お二人はとても感激している様子でした。アメ車に乗っているお二人をみんなが写真を撮りました。そのうちに、来場者がお二人と一緒に写真を撮り始めました。おちゃっぴいもお二人と一緒に写真を撮ってもらいました!
この日は21時過ぎにお開きになりました。この日の夜、パイオニアバルーン本社勤務の日本人スタッフのHさんに、パイオニアバルーン社長ご夫妻をお見掛けした事を伝えたところ、社長ご夫妻は1日だけBJUに参加されると仰っていた、との事でした。
恐らく、30年以上も一緒に仕事をされたマービン師匠とペニーさんのために、お忙しい中、合間を縫って、BJUに駆け付けてくださったのだと思いました。社長ご夫妻とマービンご夫妻の深い友情を感じました。
BJU2日目
朝食後、ロビーで、パイオニアバルーン社長ご夫妻をと偶然お会いしました。「JBANコンベンションでお会いしたことがあります。バルーンマジックは私の運命を変えてくれました。とても感謝しています。」と、英語でご挨拶させていただきました。多分通じたと思います。
丁度、お帰りになられるところだったと思いますが、快く写真撮影に応じてくださいました。
おちゃっぴいの恩人である、パイオニアバルーンの社長・Ted A. Vlamis様と奥様で副社長のBetty Vlamis様とスリーショットの写真を撮っていただきました。とても有り難く、嬉しかったです。
BJU、この日は10時過ぎに始まりました。マービン師匠のクラスでした。
タイトルは、PowerPoint Presentation・His life in balloons.です。写真を投影しながら、マービン師匠がバルーンマジックの歴史=マービンご夫妻の半生について、解説をされました。1時間半程のクラスでした。言葉は分からなくても、マービンご夫妻の半生を、バルーンマジックの歴史を体感できて、感極まりました。この後、主催者であるDiana Habovstak氏に呼ばれ、おちゃっぴいはイチゴ味のプリンハットかぶって皆さんの前に出ました。
「彼は日本から来てくれました。プレゼントをいただきました。」と、紹介してくださいました(その日の朝「スタッフの皆さんへのプレゼントです。」とバルーン用のビニール袋をお渡しました)。その場で、彼女と一緒にビニール袋を参加者に投げてプレゼントしました。
このお陰で、すぐ横にいらっしゃったマービン師匠が声を掛けてくださいました。とっても嬉しかったです。天にも昇る気分でした。(正にラッキー&ミラクル)
その場で、プリンハットのアゴヒモの付ける位置についての指導と解説を直接していただきました。「この位置にヒモを付けて、後頭部に引っ掛ければ、誰でも被れることが出来るし、ハットが安定する。」との事でした。まん丸バブルが正面を向いているのはこのためです。
なるほど!マービン師匠が被っているトレードマークの「シルクハット」がアゴヒモもないのに安定している事と、まん丸バブルが正面になっている事をちょっと疑問に思っていましたが、納得できました。
この後、マービン師匠がおちゃっぴいのトレードマークであるプリンハットを被ってくださいました!これまた、天にも昇る気分でした!そして、ツーショットの写真を撮っていただきました。マービン師匠の肩に掛けたおちゃっぴいの手を師匠は優しく握ってくださいました。暖かく愛に満ちた大きな手でした。この後、マービンご夫妻は隣のジャムルームにある専用スペースに移動され、サイン会と撮影会が始まりました。
おちゃっぴいの運命を変えてくれたマービン師匠の本「BALLOON Magic」に三回目のサインをいただきました。(一回目は97年、二回目は2000年にいただきました。)
そして、マービンご夫妻とスリーショットの写真を撮っていただきました。もう至福の極みです。ランチの後は、Don Caldwell氏のクラス、参加者のクラス、ディナータイム、Robert Furman氏担当のゲームと続きました。
20時20分頃から、スペインからの参加者・Willy Monroe氏のショーが始まりました。彼の観客との一体感は素晴らしいものでした。また、観客はとにかく楽しむ姿勢が前面に出ていて、「オーッ!」とか「イェーッ!」とか声や感情を良く出していたのがとても印象的でした。日本ではあまり見られない光景でした。1時間弱のショーが終わり、抽選会をして、この日はお開きになりました。
BJU3日目
10時前からジャムルームに参加者が集まってきて、ランチタイムまで、みんなで捻り合いました。専用スペースに来られたマービンご夫妻にご挨拶させていただきました。そしてスリーショットの写真を撮っていただきました。13時ごろ、ランチ会場へ行き、ランチタイム。おちゃっぴいは出口近くの席でランチを食べました。翌日の8時30分発の飛行機で帰るので、今日でマービンご夫妻と皆さんとお別れです。マービンご夫妻に贈る言葉をスマホで調べていました。「Be well.(お元気で。)いい言葉がみつかりました。
丁度その時、ランチを終えたマービン師匠がおちゃっぴいの前を通りかかりました。そして、おちゃっぴいに声を掛けてくださいました。またまた天にも昇る気分でした。そしてマービン師匠に「Please be well. Marvin.」と言いました。奥様のペニーさんが間もなく来られました。マービン師匠がペニーさんに、「彼が私に、Be well.と言ってくれたよ。」と話されたようでした。おちゃっぴいはお二人に、「Please be well Marvin. Please be well Penny. I’m very very glad to see both !」と言いました。お二人とも、とても嬉しそうな表情を見せてくださいました。午後は、参加者のクラスが夕方まで続きました。
ディナータイムの後、19時10分過ぎからDon Caldwell氏のショーが始まりました。30分ほどのショーでした。バルーンに手品を織り交ぜたコミカルで楽しいショーでした。この後、会場を広くして、ジャグリングタイム、ダンスタイムと続きました。ダンスタイムの時、マービン師匠は車椅子から立ち上がってペニーさんとダンスを踊りました。お互いに声を掛けながら踊っておられました。お二人の姿を見て、おちゃっぴいはまた涙が溢れ出しました。
この後は、ゲーム、参加者のパフォーマンスと続きました。BJUはお開きに近づき、マービン師匠のご挨拶がありました。マービン師匠は160Qを使った手品の披露と解説をしてくださいました。
この後、参加者がマービンご夫妻と写真を撮りました。おちゃっぴいも撮っていただきました。マービン師匠の手を握り、「お会い出来てとても嬉しかったです。あなたは偉大な方で、私のヒーローで師匠です。日本中のバルーンアーティストがあなたに感謝しています。お二人ともお元気で。愛しています。」と話しました。マービン師匠は、「わざわざ会いに来てくれてありがとう。日本の皆さんによろしく伝えてください。」とおっしゃいました。おちゃっぴいは大泣きしました。BJUに参加して本当に良かったと思いました。
この後、集合写真を撮りました。おちゃっぴいの手をマービン師匠の手に重ねました。師匠の「愛」が伝わって来ました。23時前に、BJUはお開きとなりました。
Balloon Jam Utahは4月29日から5月1日までの三日間開催されました。参加者は全米から集まりました。外国からは、おちゃっぴいが知る限りでは、スペインから一名、日本からはおちゃっぴいほりこしのみが参加しました。参加者は各日100名以上だったようです。マービンご夫妻は「愛」に満ち溢れていました。この「愛」とは、おちゃっぴいの解釈は、人を愛し、楽しい時間を共有し、喜びを分かち合い、それらを広める事だと思います。Love and Share and Spread。お二人は長年、この「愛」をバルーンに込めて来られたのだと思います。今回、マービンご夫妻にお会い出来て、本当に良かったです。お二人の「愛」を体感できた事は、ふうせんひねりびとのおちゃっぴいほりこしにとって、大きな財産になり、一生の宝物になりました。今回、改めて、バルーンの神様の存在を強く感じました。
英語は、「イエス」と「オーケー」と「ワーオ!」、この三つの単語で何とかなっちゃいました(笑)
【ナ】 「イエス」と「オーケー」と「ワーオ!」だけだと断ることができませんね。ノーなんていう機会がないほど、素敵な時間を過ごされたという事ですね。「愛は大切」とはよく聞く言葉ですが、言葉にするとなんだか本当に伝えたい意味合いが目減りする感じがしますよね。おちゃっぴいさんが体験した愛をより多くの方に共有していってほしいと願います。
もっとお話しを聞いていたいですが、前編はここまで。
続きは次回8月7日(水)配信予定! こうご期待
もっと、おちゃっぴいさんを知りたい方は下記も要チェック!
YouTube
https://youtu.be/PoDPpvpYRL0 アニモまつり2012
https://youtu.be/vAdg8DNG6Wk アニモまつり2014 Part1
https://youtu.be/qfC0jMnsnww アニモまつり 2014 Part2
https://youtu.be/_qb6_nQE6sw アニモまつり2014 Part3
https://youtu.be/megNPzzxE20 プリン
https://youtu.be/aX6hFXgsT-g 熱帯魚
https://youtu.be/gZjl6a8IRRc 四つ葉のクローバー
https://youtu.be/L5KkgS2g6F8 深谷ねぎ・ふっかちゃんねぎ
https://youtu.be/GT2JpktC67A 白鳥
https://youtu.be/kfIeDB4c7Zc インサイダー
https://youtu.be/AWTHhZFTbz8 プードル
「アニモまつり」は、愛知県瀬戸市にある障害者支援施・アニモの家が11月第1土曜日に開催しているお祭りです。あるご縁があって、2012年にバルーンショーをやらせていただきました。2014年から毎年呼んでいただいています。
あと、Facebook(https://www.facebook.com/ocharaka.ffff )と
Instagram(https://www.instagram.com/ochappy_horikoshi/ )もやっています。良かったら見てみてください。
By おちゃっぴいほりこし